この記事は連載「図書館員の読書道」の第七回です。
ポターの幼少期
ー前回は、ピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポターについてのドキュメンタリー番組を見て、ポターの活動的な生涯だけでなく、イギリス発祥の「ナショナルトラスト」という景観保全活動を知った、という話でした。今回もその続きということで。
山水(以下省略):話をポターの絵画のことに移しますと、ポターは裕福な家に生まれていたこともあってか、小さい時に描いたものも、スケッチというか子どもの落書きようなものも保存されているんですね。
スケッチの対象になるような動物も、普通はなかなか飼育できないようなもの(コウモリ、ヘビ)も室内で飼っていたようです(※1)。
ーそれはすごい。自宅はどうなっていたんでしょうか(笑)。
ほんとですよね(笑)。私は飼うのが難しいような動物は、年一回動物園まで行ってスケッチしていたので、家で描けるポターが少しうらやましかったですけどね。
ところで、ポターは家庭教師に来てもらっていて、学校へは行ってません。
だから、同年代の友達もできず、親ともよっぽど重要な話や食事の時以外は違うフロアで挨拶するだけの関係だったようで、すごく寂しい幼少期だったみたいです。でも、それは特別なことではなく、その当時のイギリスの裕福な家庭はどこもそんな感じだったようです(※1)。
おかげで勉強は、かなり自由なカリキュラムで進めていたようです。短所克服ではなく、自分の興味あることをとことんやる、という。
そういう、他人と比較しない勉強の進め方だと、長所がすごく伸びるんでしょうね。
ーなるほど。私たちの受けた学校教育とは全然違いますね。
日本の教育機関は、協調性があることと、平均的にいろんなことができることが求められ、結局、大企業や公務員向きの人材をつくりだす訓練機関になってしまってますよね。
少なくとも私の時代の学校教育はそんな感じでした。
ポターが受けた教育と比較すると、どっちがいいのかな……と思ってしまいます。
ー確かに。贅沢は言えないけれど。
そうなんですよね。義務教育を受けられて、ご飯に困らなかっただけでも私は恵まれていたと思うので。
でも、そういう最低限の望みではなく、もう少し高いものを望ませてもらうと、ポターと私の時代の小学校教育との中間の教育を受けたかった感じがします。
私の場合、理科(生物)と美術が好きで成績も割とよかったんですけど、その他が全然できず、成績グラフがでこぼこだったんです。
作文や読書感想文の点数もひどいものでした。
だから、長所をどんどん伸ばすような教育を、幼少期に受けてみたかったですね。
ー確かに、日本は短所を克服する教育が多いですもんね。さて、前回「ポターからは絵についても影響を受けた」とおっしゃってました。そのあたりのお話も聞かせていただけますか。
ポターは自然科学や美術が得意だったんだと思うんです。
だから、そっちを伸ばす教育を受けていたんでしょうね。
例のドキュメンタリーで、小学生くらいの年齢の時に書いた、ウサギを擬人化したイラストが紹介されていたんです。
ー前回のインタビューで出てきた、NHKのドキュメンタリー番組。
そうです。それがうますぎて。ナショナルトラストに次ぐ、衝撃を受けました。
それを描いたポターの年齢よりも私はまだ幼かったと思うんです。
それで、自分がポターがこの絵を描いた年齢になった時に、これを超えたものが描けるようになりたい、って、思ってしまって。
すっごくね、ポターをライバル視しちゃったんですね。
ーええ~!(爆笑)
ね、ほんとに笑えますよね。
番組で紹介されたポターが子どものころに描いた絵がね、洋服を着た動物の背中の丸み具合とか、ほんとに上手に描かれてるんです。
ウサギの絵も、ウサギがただ洋服着て座ってるとかそんなんではなくて。
風の強い日に傘がおチョコ(=反り返ってしまっている)の状態で、前に進もうとしてるウサギとか、本当に動きのある上手な絵を描かれているんです。
ポターは部屋から道ゆくひとの姿も観察していたんでしょうね。動物だけでなく、人間の所作も観察していないと、違和感なく動物を擬人化することはできません。
絵に関してはほんとに才能あふれる方だったんだな、と思います。
ネットでその絵を探したんだけど残念ながら見つかりませんでしたが。
私は結局、毎日描いて練習したけど、同じくらいの年齢になっても、ポターのような絵は描けませんでした。
ポターは「美術の才能があるリケジョ」
動物だけでなく、名もないような、こう、雑木って言うんですかね、そういうものを庭でスケッチするようになったのも、ポターの影響です。
その年代で絵が好きな子って、空想画も描いたりすると思うんですけど、私は目の前にあるものを観察して描く、写生ばっかりに夢中になりました。それは、「目にしたものを描かずにいられない」という、ポターの影響が大きいと思います(※2)。
ーなるほど、ポターはスケッチの人だったんですね。
そうなんです。ポターのスケッチ欲は大人になってからもとどまるところがなくて、植物園などに通って、調べ物もしたりして、キノコの研究も独自にしてたようなんですね(※3)。
ーキノコ!
こちらの記事にキノコのスケッチも載っています。
https://ameblo.jp/ikoa-m/entry-12813890296.html
ーまるで植物図鑑に載っているような、写真みたいな仕上がりですね。
すごいですよね。美大行って本格的に絵を習ったのか⁉と思うような写実的な絵で。
キノコについては論文も書いているくらいなので、のめりこんだんでしょうね。
キノコだけでなく、チョウの羽を顕微鏡で見て、鱗片を1枚1枚スケッチしたようなものとかも、ドキュメンタリー番組内では紹介されていました。
絵画というよりも、ボタニカルアートや生物のスケッチのようなものをたくさん残しているようです。
だから、今だとね「リケジョ」 って言葉がありますけど、そういった言葉ができる100年ほど前から、理系の女子として、在野の研究者(観察者)だったんだと思います。
このドキュメンタリー番組からは、ポターの絵の上手さと同時に、理系の研究者といっても、実験を繰り返すような化学や工学的な研究者ばかりではない、っていうことも知りました。
ー観察するっていう研究の仕方もあるということですね。去年の朝ドラ『らんまん』の牧野富太郎とか。
そうです。
ポターの場合、観察する理系人間の目を持っていて、かつ絵をかくのが好きだった。
「自分と一緒だ!」と思ったんでしょうね。両方とも私も得意な科目だったから。
小学校低学年だったし、同級生にそういう子はいなかったので、ポターを見つけてうれしくなったんだと思います。
そして私の場合、100年も前の偉大な人物なのに、ポターを身近なひとみたいにとらえて、ライバルだと思っちゃったんですよね。
欲しい本は、絵で稼いでゲット
それで、「ポターを追い越せ!」と思って自己研鑽をしていたんです、子どもなりに(笑)。
そうしたら、小学生時代にたくさんの絵のコンクールで賞をもらうことができて。
全然ポターの画力には到達していないんですが、自信にはなりました。
ー自己研鑽というのはどういうことをされていたのですか?
ポターの真似をして、家の庭の名もないような雑草を描いたり、家族が草むしりしている横で、ものすごく小さい苔とかカタバミを虫眼鏡で見ながらスケッチしたり。
買っていたペットをスケッチしたり。
あんまり、遠いところに行ってとか、そういうことは思ってなくて、近所というか庭で済ませていました。
で、描いていくうちに、植物に興味が出て。
最初は、近所の本屋さんで買った子ども向けの学研から出てる図鑑で満足してたんですけど、それじゃ、物足りなくなってしまって。
それで、絵のコンクールの入賞景品としていただいた図書券で、大人向けの植物図鑑を手に入れました。
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図書券で買った大人向けの図鑑 著者私物(撮影はサザンガク様にて) |
久保田 秀夫、会田 民雄(1990)『山野草 : カラー版』家の光協会
ー自力で!
うちは誕生日とクリスマスぐらいしか、ものを買ってもらえることのない家でしたから。
本についてもそんな感じ。
私は一人っ子だったんですけど、周りの友人は兄弟がいても、そういう節目以外の時期に、休日とかお出かけしたら欲しいものを買ってもらえている子も結構いました。
今考えてみると、バブル前でしたし。
私の小さいころは、言い方は悪いですが、一人っ子はなんでもわがままは聞いてもらえるっていう家庭が多かったんです。
現在のように「ひとり親家庭で子どももひとり」という家庭は少なかったですし、子どもが何人もいる家庭に比べて経済的にゆとりのある家が多い印象でした。
だから、一人っ子が親からモノを買ってもらえるハードルは、他の家庭に比べて低かったと思います。
でも、うちは「一人っ子だからといって、欲しがったらいつでもものを買ってあげる」という育て方はせず、兄弟のいる家と同じように育てようって、母が決めていたみたいで。
実際には、兄弟のいる家よりも、モノを買ってもらうハードルが高かったような気もします(笑)。
なので、何かが「今、どうしても欲しい!」ってなった時に、結局、自力でゲットした景品や賞金(金券類)で手に入れていました。
ー大人の本が買えるほど図書券がもらえるとは……。
そうなんですよね、この本も見ると当時の価格で2800円もする。
あのころ、PTAみたいなところが主催している写生大会に出ると、文具券とか図書券をよくいただいたんですよ。
もちろん、入賞景品が絵の具とかクレヨンのような画材のときもあって。それもそれで助かりました。
写真の図鑑から気づいた、人間の目の不思議
ー大人向けの本格的な図鑑を手に入れて、さぞかしうれしかったでしょうね!
いや、それがね、「学研の(子ども向けの)図鑑の方がいいや」って。あんまり使わなかったんです(笑)。
ーえ~!それはまたどうして。
この図鑑は、全部写真なんですね。
学研の図鑑は、ボタニカルアート(手書きの絵)だったんです。
実は、実際にその辺に生えてる植物を見て同定(動物・植物の分類学上の所属を正しく決めること)するときに、写真と絵だったらどっちが「この植物や!」って判断しやすいかというと、私の場合は「絵」だったんです。
「この植物や!」って判断材料になるような、その植物独自の特徴を写真で表現する場合、個体をアップで撮影するか、反対に引いて固まりを撮影するか、ということになるかと思うんですが、その情報だと素人には分かりづらいんですね。
特にアップの写真の場合、その植物の特徴がはっきり出ている個体があればいいけど、そういう「ベスト」な個体が、その場に生えているとは限らない。
一方で絵の場合、ある植物のいくつかの個体に共通する特徴を捉えて、ちょっとオーバーに誇張して描くことが可能になるんです。
ー似顔絵みたいな。
まさしくそうです。
指名手配犯のビジュアルも、写真よりも似顔絵の方が分かりやすかったりするケースがあると思うんですけどそれと一緒ですね。
で、これってすごく重要なことで、多分、人間の目ではそういう風に植物を見てるんだと思うんですよ。
1つ1つの個体の誤差みたいなものは、うまいこと無視して、多数の個体の特徴の平均から、「大体こんな感じ」って判断している。
絵だと、一度、絵描きさんそういうフィルターを通過して描かれてます。だから、写真の図鑑よりも絵の図鑑の方が個体識別しやすいんですよね。
ー人間の目ってすごいですね。
ほんとにそう思いますね。
多くの情報の中からノイズを省いて、平均値を瞬時に出すというのは、人間の視覚のすごい仕組みだと思います。
多分、聴覚にもそういう仕組みが備わっているんじゃないか、と思います。
自然科学系の専攻に進むと必ずスケッチの授業があると思うんですけど、描くことでその個体の特徴を捉える練習を積んでいるんじゃないか、と思うんですよね。
スケッチをし続けたポターの絵が、すばらしいのも納得できますよね。
絵本は「絵の資料」として
ーところで、ポターの本は前回見せていただいたしかけ絵本のほかにもお持ちですか?
ええ。これはその中の一つで、今も福音館書店から出ている、文庫本サイズのシリーズです。
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箱の中に3冊入っている 著者私物(撮影はサザンガク様にて) |
これ、ドキュメンタリー映画を見た後に買ってもらったか、自分で図書券でゲットしたか、そこは覚えていないんですが、マイナーな作品です。
副音館から出て、ピーターラビットのシリーズの絵本って、ほとんど、石井桃子さん訳なんですけど、その中で例外的に石井さん以外の方が訳しているんですね。
その、数少ないうちの何冊かが、私の持ってる「7集」には収録されていて。
ー確かに。『ベンジャミン バニーのおはなし』とか『「ジンジャーとピクルズや」のおはなし』、『あひるのジマイマのおはなし』とかが有名どころですよね。なんでこれを選んだんでしょうね…?
私も、今となってはよくわからず(笑)。ただ、絵が好みだったことは確かです。
箱の表の、オーブンの前に立つ猫の後ろ姿もそうですし。
私、描きこんだものより、スケッチが好きで。
もちろんね、丁寧に塗り重ねて最後まで仕上げた絵もいいんですけど、素描っていうんでしょうか。
本当に万年筆かサインペみたいなもので、間違った部分も修正できない、一発で短時間に描かれたようなものが好きなんです。
福音館から出ているポターの絵本は30作以上あります。
ですが、挿絵はどれも丁寧に描きこまれていて、スケッチで構成するされてる絵本はほぼなくて、この「7集」収録の、『ずるいねこのおはなし』くらいなんです。
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著者私物 |
ーあ、ほんとだ、背景とかも描きこまれてませんね。
こういう、短時間にささっと描かれた雰囲気のようなものでも、やっぱりポターはとても上手。
この作品はもともとポターがネリー・ウォーンという幼い少女にプレゼントした、折りたたみ式の手製本だったんです。
でも、ポターが出版用に絵を描き直すのに気が乗らなかったため、出版が取りやめになりました。
結局、ポターの死後30年近くたった1971年、ネリーのために描かれたオリジナルのスケッチのまま出版された、という逸話があります(※4)。
本のあとがきにも細かい出版の経緯が書かれています。
これ、この絵のまま出版されて、かえって良かったんじゃないかと思います。
ポターの画力が伝わってきます。
ほんとに猫の様子がいきいきと描かれていて。
私、小さい頃、飼い猫をたくさんスケッチしていたので、
自分の絵の参考にしたくて何度も絵本を読みなおしました。
今本を開くと、手垢のようなものが経年劣化でシミになっています(笑)。
ーそれを考えると、山水さんは絵で絵本を選んでいたんでしょうね。
そうかもしれません。自分の作画の資料として(笑)。
そういえば、親に図書館に連れてってもらったときの思い出があるのですが、私が絵本の絵にこだわっちゃって、なかなか本を選べなくて、親を困らせてしまったことがありましたね。
「まだ借りる本決まらないのか」って。
そのぐらい、小さいころから挿絵へのこだわりがありました。
なんか、子どもの目から見て、疑似化してる動物でもちょっと体のバランスとかがおかしいって思ったら、絶対借りない。
味のあるといったらいいのかな、いわゆるヘタウマ系の絵本も借りない。
子ども向けにファンシーに描かれたような絵本は、絶対手に取らなかったし。
そしたら、借りる本があんまりないんです。こんなにたくさん絵本が並んでるのに(笑)。
ポターについてはインタビューを受けるまで忘れていたこともたくさんあったんですが、今は、なぜ自分がポターの本を選んだのか、ほんとによく分かります。
家の周りの風景を絵本に残し、身近な草花や生き物をスケッチし続けたポターにとって、庭は好奇心の宝庫だったと思います。
「キュリアスガーデン」ということですね。
こんな幼少期を過ごした図書館員です
ーこの連載、開始当初の予定では、小学校卒業までということだったのですが、結局、小学校3,4年生くらいまでの話で時間切れ。いったん終了ですね。
いやーここまで長かった(笑)。
もともと、私がほかの図書館員と違う点はどこか?、ということをお伝えしたくて始めた連載でした。
機能不全家族で育ったことが大きく影響していて、自分を守る逃げ道として趣味や楽しみを探る幼少期。
「物語好き」というよりも、生物(自然科学)や絵が好きな子どもでした。
自分で自分の心を育てる必要に迫られ、多くの日本人がおちいりがちな、周りとの比較でモノを選んでこなかった。
家庭環境への適応のために本を選んだり、内面から出てきた好奇心によって本や趣味を選んできた。
このような背景が、ほかの図書館員との私の違いであり、ユニークなところだと思っています。
ご興味を持っていただいた方、お気軽にご連絡いただけますとうれしいです。選書のお仕事やフリーの図書館員として、何かお力になれたらうれしく思います。
連載をお読みいただき、ありがとうございました。
図書館員の読書道、いったんここまで。小学校高学年以降も、ぜひいつか語れたらと思っています。
ありがとうございました。
(了)
連載「図書館員の読書道」全記事
第七回 ポターがライバル(当記事)
<参考サイト>
※1
wikipedia ビアトリクス・ポター
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%BC
※2
ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポターに学ぶ創作のヒント
https://naozo.jp/peter-rabbit/
「人はなぜ見るだけで満足できないのだろうか。私はいてもたってもいられない。絵に描かなければ。たとえ酷い出来であったとしても…」というポターの発言が紹介されている。
※3
リンゼイ・H・メトカーフ 文 ジュンイ・ウー 絵 長友恵子
訳(2021)『ビアトリクス・ポターの物語 キノコの研究からピーターラビットの世界へ』(西村書店)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000048.000010438.html
※4
フェリス女子大学のサイト「ピーターラビットの絵本シリーズ」より
https://www.library.ferris.ac.jp/digital-collection/collection05
このサイトからポターの絵本の表紙だけでなく、本の中の挿絵などもみられます。