図書館員の読書道① 育った家庭環境

2024/04/29

エッセイ/ごあいさつ 本紹介 連載

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前回の記事はこちら。

図書館員(図書館司書)になるひとって、どんな本を読んできたのだろう?

今回から数回にわたって、「作家の読書道」の図書館員バージョン、「図書館員の読書道」(小学校卒業までを予定)連載します。
今回は、生まれ育った環境についてメインで語ったプロローグです。

本はあるけれど

―山水さんが図書館員になったのはアラサーのころですよね。「そんなに読書家ではないし、小さい頃も文学少女ではなかった」とおっしゃっていますが、小さいころ、どんな子どもだったのでしょう。

山水:あんまり文字には関心のない子どもで、工作とか絵を描いたりするのが好きでした。
庭があったので、外にいることも多かったです。
絵を描いたり、工作をしたりの作業は室内でやってましたが、インドア派ではなかったです。

―自宅に本はありましたか。

ありました。
でも「本棚に囲まれて」という家ではなかった。両親はごく普通に、本屋さんに並んでいるようなものを読んでいて、ミステリーとかエッセイとか軽いビジネス書などを読んでいるような家庭でした。
これを読めとか、読書をすすめられたことは一度もなかったです。
反対に、読み聞かせをしてもらった記憶もほとんどないんです。

―それは意外ですね。図書館で子どもの本の担当をされていたことがある、と過去記事(絵本のブックリスト『絵本の庭へ』にも書いてらっしゃいますが、どうでしたか。

絵本は親戚からお古をもらっていて、たくさん自宅にあったんです。
でも、児童文学はほとんど読んでこなかったので、知識がなくて。
子どもの本の担当になってから、かなり勉強しました。

子どもの本担当として働いてみてとても驚いたことがあって。
それは、世の中の多くの大人が、どういう本をわが子に読んであげるか、内容も、読んであげる時期も、こんなにも真剣に考えているんだ、ということです。

読書好きのひとが子どもを持った時、そうなるのならまだ分かるんですよ。
でも、そうじゃなくて、子どもが生まれるまで普通にゲームとか食べ歩きとかが趣味だったような親御さんが、いざ子どもができると、子どもに与える本とか読み聞かせする本をこんなに真剣に選ぼうとするんだ、と驚いたんです。

でも、同時にそういう親御さんが多いことをうれしくも感じましたね。
子どものこころの発達のために栄養を与えてあげよう、いいものと出会わせてあげよう、という気持ちには、子どもが自分の意見を持った「自立した人間に育つように」、という願いが込められていると思うので。

私は高校は進学校だったんですが、同級生に小さいころの思い出を聞くと、キャンプに連れて行ってもらったとか、親御さんの計らいで、幼少期にこころの栄養になるような、自分が大人になって子育てする際に活かせるような経験をさせてもらっている子が多いなという印象でした。
それは塾へ通わせるとか、早期教育をするとか、そういう「お金さえ払えば高度な教育が受けられる」という、いわゆる教育ママ的な対応ではなくて、親御さんもそれまで自分の好きなことをしていたようなプライベートの時間やエネルギーを子どものために差し出して、子どもと一緒に経験するようなことをちゃんとやっているんですね。

我が子を進学校に進ませるような親御さんは、子どもができるだけグローバルな環境で活躍できるように、自立ということを念頭に置いて子育てしてるんだな、と思いました。
自分の育った家との意識の差を感じました。

私は金銭的には不自由のない子ども時代を送らせてもらえました。
しかし、残念ですが、私の両親は私にどういう大人に育ってほしいか、というビジョンを持たずに子育てしていました。
少なくとも、子どもの自立については、両親は全く考えてくれていなかった。

なので、旅行に行くにしても「今、その子がこれを体験しておくと、きっと大人になったときに思い出に残るだろうな」とか、「今しか経験できないことだから体験させておこう」という視点で選んでもらえた記憶がほとんどないです。

反抗期がない子ども

うちはすごく発言権がある祖母が同居していまして。
母方の祖母だったんですが。
家庭内の状態が、祖母の気分や突発的な思いつきの行動で、全部左右されてしまうんです。

―それは……、大変そうです。

控えめに言っても、大変でした(笑)。
旅行先もすべて祖母優先で、祖母が楽しめる場所かどうか、なんです。
だからお寺とかばっかり。
そういえば、食事も魚ばかりで、身体が肉に慣れておらず、給食で出たハンバーグを食べて吐いてしまうような子どもでした。

―ハンバーグって普通は子どもの好物ですよね。

そうですよね。喜ぶはずのメニューなのに(笑)。
その後、さすがに母がこれはあかんと思ったみたいで、家でハンバーグを食べる練習をしたり、少しずつ軽めの肉料理が食卓に並ぶようになった気がします。

―旅行については、進学校の同級生みたいな経験はなく…。

そうですね。
旅行先を決めるときって、子どもが「わがまま」というか「ここに行きたい」っていう自己主張ができるチャンスだと思うんですよね。
でも、そこで私が自分の意見を言うと、祖母の意見と私の意見の二つが対立して、母の苦労が増えるので、言えませんでしたね。

子どもなのに、親の負担を鑑みて行動も発言も抑制しなければならない場面がとても多い状況で育ちました。
私がひとの気持ちを察する能力や空気を読む能力が異常に高いのは、この、子どものころの家庭環境の影響が大きいです。

子どもの心の発達過程には、イヤイヤ期に代表されるように、思春期の大きな反抗期の前にも子どもの心の発達過程には親に反発して自己主張する時期がありますよね(※1)。
それは子どもが親離れして自己を確立し、一人の人間として自立するためには必要なプロセスなんだと思います。

でも私にはイヤイヤ期や思春期の反抗期も含めて、一切そういうものがありませんでした。

「ありませんでした」というより、そういう行動が、この家庭環境ではとれなかった。
親の負担になるから。
ただでさえ子どものような祖母がいるんです。
できるだけ親に迷惑や心労をかけない、というのが私がこの家で生きる上での第一のルールでした。

うちは経済的には困っていませんでしたが、貧困家庭で育つ子どもと、行動パターンが似ていたと思います。
子どもにとっての行動基準が「自分が好きかとか自分がやりたいか」ではなく、「一番親に迷惑や負担をかけないのはどの方法か」だった、という意味では。

子どもって急に昨日まで好きだったものを「もう嫌い」といったり、絶対こっちがいいといって譲らないときがありますよね。
昔はデパートの床でじたばたしている子どもとか。

―(笑)。今はイオンの通路とかお菓子売り場でじたばたしている子がいますね(笑)。

そうそう、あれです(笑)。
ああいった、親に自己主張をして困らせるようなことをしたり、親に甘えたり、親とは違う「自分の考え」を子どもが主張する。
そういうことって、母親のお腹の中で母親と一体化していた子どもが、親とは別の自己を確立して親離れして、自分のパートナーをみつけて(今は見つけても見つけなくてもいい時代ですが)、自立するために、必要なプロセスなんだと思うんです。

でも、私はそういう過程を経験せず全部すっとばしていて、身体だけ大人になっていることに気がついたのは30を過ぎてからでした。

―え!そんなに大人になるまで、気づかなかったんですか!

私は兄弟がいませんでした。だから、比較するサンプルがなかったんですね。

保健体育の授業で習ったから思春期に反抗期(第二次反抗期)があることを知識として知っていたものの、それ以外に、子どもに反抗期や自己主張する時期があるなんて、まったく知りませんでした。

しかも、私の育ったところは古い地方都市で、今も閉鎖的な慣習が残っている地域です。
うちは特に深刻な状況だったとは思うのですが、他にも祖父母と同居していることで彼らの子育ての価値観に従わざるおえなくて、現代的な価値観で子育てができない家庭はたくさんあったように思います。
大なり小なり、こういう問題を抱えている家庭は、あの当時、周りには珍しくなかったはず。

そのためか、親を第一に思いやる、親にとって扱いやすい、いわゆる「いい子」が多くて、近所には私と同じように第二次反抗期のない同級生が多かった。

母親も近所の先輩ママから、「あ、うちの子もほとんど反抗期はなかったよ」みたいな話を聞いて、「じゃ、うちもなくても大丈夫だ」と安心していたんだと思います。

子どもの反抗期が一回だけではないことを知ったのは、図書館で子どもの本担当になってから

―そんなことがあるのか、と正直驚きました。一般には、イヤイヤ期を含めて子どもが三つの反抗期をしっかり通過することが自立のために重要だ、といわれています(※2)。でも、そういう環境だと、自分に反抗期がなかったことに問題意識すら向きませんよね。

そうなんですよね。
私が早くに出産を経験していれば、自分が子育てする段階で気がついたと思うんですが。

でも私は子を産まなかったので「子どもってこんなに自己主張するんだ」「普通の子どもって、親にわがままを言うんだ」「自己主張して親を困らせたり迷惑をかけたりするのが子どもなんだ」と知ったのは、なんと図書館で子どもの本の担当になってから。

名作と呼ばれる絵本や児童文学を読んでいると、生意気なことを言ったり、自分の主張を曲げず親を困らせるような、順調に反抗期を通過している子どもが登場します(笑)。
主人公の子どもの振る舞いにびっくりして。

「え?いくら子どもだからって、親をこんなに困らせてもいいの?」って。

また、児童図書担当への期待が高い図書館だと、育児書を読んだり、子どものこころの発達段階を勉強することを求められると思うのですが、そのタイミングで「えー!普通の子どもって、こんなに親に何回も反発するんだ(=反抗期が何回もあるんだ)!」と知ってまた、びっくりして。

私の場合、子どもの本の担当の時に、何冊も続編がでている育児本の名著、平井信義先生の『「心の基地」はおかあさん』に出会ったことが大きな転機でした。

平井信義(1984)『「心の基地」はおかあさん やる気と思いやりを育てる親子実例集』企画室

・1995年企画室刊の新版や、その本を再編集した新紀元社から出版されているバージョンもあるようです。
・中古か図書館所蔵でお探しください。

この本では、子ども時代の私のような「いい子」「素直で育てやすい子」「反抗しない子」というのが、どれだけ心の発達に深刻な問題を抱えている状態であるかが指摘されています。
私が抱えてきた、友人の誰とも ―もちろん家族とも― 共有できなかった苦しみの素って、ここにあったのか、と思った。

40年くらい前に出た本なのですが、ラジオの育児相談などを聴いていると、未だにここで指摘されていることを知らずに子育てしている親御さんは多いように思います。
特に反抗期の対応や適切な言葉がけ、子どものけんかへの対応など……。

こういうことを、知識として知ってるかどうかは大きいと思います。

今の基準で読むと、文章の表現が親御さんへの配慮に欠けているように思えたり、上から目線っぽく感じる点も多少あるのですが、内容や指摘は、今読んでも全く古くないと思います。

<中略>思春期になると、登校拒否、家庭内暴力、ノイローゼ、精神病や、家出、非行などの厄介な問題が起き、お母さんやお父さんを不幸のどん底に落としてしまうことさえもあります。 

しかし、こうした思春期の問題は、すでに乳幼児期にスタートしていることが少なくありませんし、学童期に早く対策を立てていれば、短期間でなおったのに、と思い返される例が多いのです。

ところが、子どもの発達について勉強していないお母さんやお父さんは、発達のゆがみについて気づいていないばかりか、私たちの目から見ると心配な子どもであるのに「よい子」と思い込んでいることが少なくないのです。意外にも、おとなしかったり、すなおな子ども、親の言うことをよく間く子どもは、心にゆがみが生じていることが少なくないのです。 

『「心の基地」はおかあさん やる気と思いやりを育てる親子実例集』より引用

「反抗期がなかった」で済ませていいのか

ヒトって、例えば、生まれてすぐ立ち上がる草食動物の赤ちゃんなどに比べると、生まれてすぐはほんとに弱い存在ですよね。
歩くこともできない、目もしっかり見えない。
24時間、親の保護が必須の状態で生まれてきます。

でも、「反抗期」って、そんな状態のときから自分を保護して、寝床や食べ物を与えてくれたひとたちに対して、恩をあだで返すような行動です。
しかも、それが一回ではなく、一定期間続くし、何度か訪れる(※1)。

こういう、道徳とか儒教の観点からみると矛盾するようなことが人間のこころの発達過程に存在するということは、おそらく、ヒトが種として生き延びるために必要な過程であり、遺伝子的にプログラムされているものなんじゃないか、と思うんです。

―なるほど。そういう大事なプロセスが省略され、「まったくなかった」というのは、どうなのだろうか……という。

私の周りには(私も含めて)そういうひとがいますが、順調に反抗期を通過したひとに比べ、何かしら、こころの発達にゆがみや欠落を抱えて生きているように思えます。
いわゆる、昨今「生きづらさ」といわれるものです。

これはあくまでも当事者としての見解ですが、例えば、必要な場面でリーダーシップをとれなかったり、自己主張できなかったり、相手を優先しすぎて自分を後回しにしてしまったり。
これがエスカレートしてしまうと、相手の表情を気にせず迷わず助けを求めないといけないときも躊躇してしまい、性被害を受けたりDVの被害者になりやすいという、深刻な事態になることもありうると思います。

また、こういうひとは自分を優先できないので、他人から搾取されがちです。
他のひとがやりたがらない仕事をおしつけられたり、支配的なパートナーと結婚してしまいモラハラを受け続ける、など、「がんばっているのになぜかうまくいかない」ループに陥りやすいのではないか、と思います。

―意外と「自分の生まれつきの性格だ」と思っていたものが、実は反抗期を十分に通過できなかったことが原因だった、っていうことはあるかもしれませんね。

そうなんです。
研究報告などを読んだことがないので裏付けはなく、当事者としての感覚でしか語れませんが……。

私は反抗期がなかったことについて、かつての身近な大人達、特に自分の親も含めて親御さんは軽視しすぎではないか、と思っています。
子どもが大人になってから親御さんが「ごめんね、ちゃんと反抗期に反抗できないような環境で育ててしまって」と、本人に謝っているのを私は聞いたことがありません。

結婚相手からのDVやモラルハラスメントに悩み始めた段階で、親に相談し「嫌なことはいやってちゃんと相手に伝えなきゃ!」といわれても、「いやいや、原家族(※3)で練習させてもらえなかったのに、いきなり他人に向けてできないよ」と主張したくなるのではないでしょうか。

ー反抗期がなくても、子ども時代は特に何も問題は表面化しないかもしれない。でも、大人になってから人生を左右するような、困った弱みとして現れてくる場合があるんですね。驚きました。

反抗期のない子どもが増えている現実

今、子育てをされている親御さんは非常に多忙ですよね。
私の周りのワーキングマザーも、フルタイムで総合職についているひとは仕事を終えて自宅に帰っても、分刻みの家事育児に追われて、まったく自分の時間が持てていないような状況です。

また、以前よりもシングルの家庭も増えました。
親ひとりで家族を養えるような収入の仕事もしつつ、子育ても家事も……というのは、あまりに過酷な状況です。

私がとても心配しているのは、親が疲弊しすぎていて、無意識のうちに「親の言うことをきく、手のかからないいい子」に育てようとしている親御さんが増加しているのではないか、ということです。
この記事(※4)によると、「大学の授業で『反抗期があった人、手を挙げて』と尋ねたら、手を挙げたのは100人中2人だけでした」だったと書かれています。

―うわ、それは衝撃的な数字ですね。確かに、最近は無駄な争いを避けるおとなしい若者が増えている印象ではあるけれど……。

今回のインタビューは「読書道」なので、本の業界の話に絞ってお話すると、こういう親御さんのニーズにつけこんだ本が出版されていることも気になっています。

私が子どもの本の担当をしていたのはもう10年ほど前です。

そのころから、一般書(大人の本)でヒットした内容を、子どもでも読めるようにやさしく書き直して出版するビジネスモデルが見受けられるようになりました。

―本が売れなくなったからでしょうか。

おそらく。
特に児童書の出版は、大人向けの本以上に厳しい状況なのだと思います。

そこで、一度ヒットしたアイデアをできる限り使いまわそう、という出版社側の意図からこういう本が出始めたのだと思います。

こういった本を、子どもの本を長年担当しているベテラン職員は危惧していました。

―え?なぜでしょう。

こういった本は自己啓発本や実用書、ビジネス書分野が多いんです。
例えば片付けや整理収納のような本も見かけたことがあります。

こういう本を読ませる親御さんは何を考えているかというと、自分が多忙で慢性的に疲れているので、片づけを自発的にしてくれる「できるだけ手のかからない子どもに育てたい」と思っているわけです。

―ああ、なるほど。

でも、「できるだけ手のかからない、親にとって便利な子」は、もはや「子ども」ではないです。
いたずらをしない、いつもおもちゃが片付いていて部屋がきれい、なんて子どもじゃありませんよね。
いたずらで親を困らせたり、興味のままにモノを次々出したり、といった、疲れた大人からは面倒に思われるような子どもの行動も、子どもの脳の発達には必要です。

確かな知識を持っている子どもの本担当の図書館員は、子どもが子ども時代を、子どもらしく生きること ― つまり、子どもがきちんと発達過程を通過すること― を最も重視して本を薦めます。

これらの「ヒットした一般書を子ども向けに書き換えた本」は、大人向けの自己啓発的な内容を含んでいることが多く、大人のための本です。
例え、表現や日本語を子どもに分かるよう、易しく書き換えても「子ども向け」にはならないのです。

子どもはいろんなものに手を突っ込んだり、口に入れたり、いたずらして、反抗して、空想して……、と、子ども時代に体験しなければならないことがたくさんあります。

それを促すような本が、子どもにとっての「よい本」なのです。
そういう本には、いたずらっ子や親に反発する元気な子どもが登場します。

図書館司書の立場からお話させていただくと、例え今、子育てに疲れていても、子どもを大人化させるような本は与えないでほしい、と思います。

私のように、反抗期を十分経験せず、子ども時代を十分生きられなかったことの影響は、大人になってから人格形成や生きづらさにつながることがあるのは、さきほどお話した通りです。

一時(といっても、子育ては長いですが)の負担軽減のために、大きな選択ミスを犯して手遅れを招かないでほしい、と切に願います(※4)。

また、社会も、3世代が同居していたころの子育ての仕組みが前提になっている支援ではなくて、ワンオペ育児メインの今の日本の現状を踏まえたシステムを、もっと考えていかなければいけないと思います。

―今、いろいろお聞きして私もそう感じました。

本の話に戻しますと、「ヒットした一般書を子ども向けに書き換えた本」の問題性について知らない図書館員もいます。

書店や図書館へ行くときは、職員が絵本に関する資格等を持っている、などの表面的なスペックだけで判断するのではなくて、こういう知識のある図書館員がいる図書館(書店)を選んで利用してほしい、と思います。

夫婦喧嘩を日常的に見て育った子の脳は変形してしまう

私の育った家庭の場合、こういった問題のほか、同居していた祖母と母との激しい口論(というか罵りあい)が日常的にありました。

現在の研究では、夫婦喧嘩を日常的に見て育った子どもは脳が委縮してしまうことが分かっています(※5)。

―え!そんな深刻な状況になるのですか!?

こういう家庭で育ったひとでないと、こういった情報を調べたりしないから、あまり一般のひとには知られていないようです。

子どもの前で暴言を吐いたり汚い言葉で喧嘩をすることは、子どもの心や脳の発達において、非常に深刻な影響があるんです。

ウチの場合は、夫婦喧嘩も多少あったけど、深刻だったのは祖母と母との間の、ものすごくこじれた諍いです。
あまり詳しいことは言えませんけれど、母をいじめ、問題に巻き込むのは祖母だけではなく、いつも母は髪を振り乱し、頭のてっぺんから声をあげているような状況でした。

私が日常的に見てきたのは、配偶者への暴言・暴力(DV)ではないので、あてはまらないのでは?と考える専門家もいるかもしれません。

でも、本来なら、子どもが子どもらしくわがままや自分の意見を主張して育っていくことを見守る存在であってほしい祖母が、我れ先にと自己主張し、自分の母親と罵りあっている状況を幼児期から20代まで、日常的に私は目にしてきました。
その経験が、まったく子どもの成長に影響を及ぼさなかった、とは考えにくいですよね。

あれだけ長期にわたって日常的に見ていたのだから、私の場合、脳に何らかの変形や委縮がおこっていてもおかしくないのではないか、と思います。

長期的なビジョンのない子育てがはらむ危険性

―多くの子どもにとってお母さんって特別な存在だと思いますが、そういう自分にとって大事なひとがいじめられているのを日常的に見る生活だった、ということですね。それは子どもでなくても、相当につらい状況だと思います。そのとき、お父さんは?

これはうろ覚えなんですけど、父は結婚したばかりのころ、祖母から決して許すことができないようなことを言われたようで、その後、祖母と母の間の争いには関与しない、と決めたようなんです。

だから基本的に自分の部屋にこもり、口論を止めたりはしてくれませんでした。
確かに父はそれでよかったかもしれません。

でも、私はけんかの現場に放置されて育ちました。

父は祖父母と母との口論を自分が「うるさい」と感じた時に苦言を呈することはあっても、我が子をそこから守るという視点は全くなかったんです。

父にとって母はパートナーですので、母を祖母から守ることはありました。
でも、それも非常に少なくて、私が成長すると私にその役割を負わせて、そういう面倒なことからも撤退しました。

結局、複雑にこじれた話を整理したり、母にさまざまな言いがかりをつけてくる大人たち(祖母以外にもいました)から母を守り、常に母の味方になってそういう大人たちから母を守ることが私の家庭での役割になっていきました。
もう、小学生のころには家庭内でそういう立場に立っていたと思います。

―本来なら、子どもである山水さんこそ守られるべきなのでは……。

そういうことに気がつける方は、健全な家庭で育っておられるのだと思います。

父も母も自分のメンタルを保つことに必死で、子どものこころの発達への影響とか人格形成への影響などはアウトオブ眼中でしたね……。

父が私を守ったり、その環境から遠ざけようと努力や工夫をしてくれなかったこと。

祖母も母も自分の感情を優先し、「子(孫)のこころの発達に悪影響が出たら大変だから、けんかをやめよう」とは考えてくれなかったこと。

また、他にも大人の親族がいたにもかかわらず、私の置かれている状況の異常さに誰も気づいてくれず、諍いの原因である祖母を「こっちで預かろう(同居しよう)」などと提案してくれるひとがいなかったこと。

悲しかったですね……。
子どもの私の感じている苦しみに、誰一人として周りの大人が気づいてくれなかったことも、悲しかった。

インタビューの初めでちょっと言いましたが、もしウチの両親が、子育ての長期的な視点―つまり子どもにどういう大人になってほしいか、という視点を持ちながら子育てしてくれていたら、少しは違っていたと思うんです。

例えば、成長したらグローバルに活躍してほしい、リーダーシップがとれる人間になってほしいと思っている親御さんは「自分の意見をちゃんといえる大人になってほしい」と考えていると思います。

そういう長期的な子育ての視点があれば、子どもが意見をいうことを躊躇したり、常に親のサポート役に回っていたり、子どもに反抗期が一度もないような状況が続いていたら、「これは、自分たちが願っているような大人に、この子は育たないかもしれない……」と気がついて、親が環境を変える努力や工夫をするんじゃないか、と思うんですよね。

でも、長期的な子育ての視点がないと、極論、その日がスムーズにいけば問題視されないのです。

日々の子どものようすにとりたてて異常がなく、家庭の運営にトータルで問題点がみつからなければ、大人になってから深刻な問題となって表面化するような根は、見逃されてしまうんです。

ヤングケアラーの問題も、親御さんによる長期的な子育ての視点の欠如が原因にあるんじゃないか、と私は思います。

その時、家庭がうまく回ればいい、っていう。

見逃され続けたシグナル

私が描いた絵の記憶で最も古いものは、幼稚園に入るかどうかのころ。
祖母と母が仲良く手をつないでいる絵です。
それをそのころ一番気に入っていたおもちゃである、キキララというサンリオキャラクターのパステルカラーのパスケースの中に入れて、大事に持っていました。

―……。その絵をおばあさまやお母さまが目にする機会はあったと思うのですが、そのときに「子どもにこんな絵を描かせてしまったのだ」と反省し、自分たちの関係性をしっかり見直してくれていたら、こんなことにはなっていなかったのではないか、と思ってしまいます。

まったくその通りです。まあ、そのころの画力では何が描かれているか判別できなかったかもしれませんが(笑)。

でも、もし描かれている絵の内容が分かったとしても、そういう反省ができる大人たちであれば、そもそも子どもの目の前で目を吊り上げ、罵りあうような喧嘩はしていないだろうし、イヤイヤ期も反抗期もない娘(孫)の発達の異常にも気づき、対処してくれていたでしょうね(苦笑)。

私は反抗期がなかっただけでなく、とてもやせていて、子どもなのにほとんど食べ物に関心のない子でした。
すごく食が細かったんです。

―えっ。それもまた……。「作家の読書道」には、小さいころの読書は食事のシーンが絵本に出てくるのが大好きだった、という作家さんも何人かいらっしゃいましたし、子どもは食べることに関心があるのが普通ですよね。

私は、中学生になるまで食べることは苦痛でした。
味覚の記憶も乏しくて、小さいころのおいしかった食べ物の思い出は、ちょっとすぐには思い出せない……。

私の小学生の頃は、肥満児だけでなく、やせている子の親にも指導が入り始めた時期です。
平均体重よりも30%以上体重が少ないと「やせ児童」といって、校医に親と共に呼び出されました。
小学生のとき、私は「やせ児童」に該当していて、何度か校医に親子で呼び出された覚えがあります。

―反抗期がなかっただけでなく、食欲とか外見にも異常が出ていたんですね。いくら鈍い親御さんでも「あれ?おかしいな」と気づくのでは。

普通ならそうですよね。
でも、母は「うちは子どもにガミガミ怒ることもないし、過保護にもしていないし、教育ママでもない。こんなにのびのび育てているのだから、多少やせていることは気にしなくていい。成長期になって食欲が出てきたら食べるようになるだろうから」と何も対応しませんでした。

父に至っては、娘が平均よりだいぶんやせていることや、「やせ児童」として呼び出されたことすら把握していなかったと思います。
同居しているのに(苦笑)。

―え~⁉この状況でスルーされたんですか⁈ しかも、解釈が勝手すぎる。

うまく言えないんですけどね、ウチの母のようなタイプって自分に都合よく解釈して、他人のせいにするのが天才的にうまいんです。
そのせいで、専門家がどれだけ適切なタイミングで指摘したとしても、問題発見に至らない。
もしかしたら、日本で児童相談所がうまく機能していないのは、こういうタイプの親が虐待家庭には多いからかもしれません。

私の母みたいなひとは、無敵なように見えるけど、実はものすごく心が脆くて自分が間違っていたことを認められません。
不安とか緊張が強くて、何事にも過敏すぎるから、ちょっと意見が違っていた程度のことも「否定された」と捉えてしまうんです。

私がやせてた原因は摂食障害とはまた違うとは思うんですけど、子どもなのに食欲や味覚が鈍いということは、生きるエネルギーそのものが低下していたんだと思うんですよね。

―山水さんのおうちは、子どもへの暴言とか過保護、勉強の押し付けのような、いわゆるメディアが取り上げるような「典型的な問題のある親の行動」は、なかったと思います。
でも、話を聞いていると、子どもにとっては、というか子どもでなくても相当ストレスフルな状況ですよね。
それこそ、食べる気力、生きる気力がなくなってもおかしくないというか。

そうですよね。
明らかに家庭の環境がストレスになり、慢性的な食欲不振になっていたんだと思います。
ひとって、未来に希望が持てなくなると食欲がなくなるようです。

その後も、今に至るまで、検査しても原因が特定できない「ストレスが原因」と医師から言われるような病気に私は絶えずかかり続けています。

それぞれの病気は死に至るような深刻さはないのですが、妊娠が難しくなったり、身体が熱を持ったようになって疲れて全く動けなくなったり、など、日常生活に支障が出て働けなくなった時期もありました。

また、常に通院しているので医療費もかかるし、診察時間に間に合うよう、仕事を早退しなければならないことも多かったです。
不定愁訴→西洋医学では対処に限界、というケースもあり、保険が適用されない漢方薬を飲んでいたため、薬代のために働いていたような年代もありました。
20代のころかな。
もう、江戸時代みたいな感じですよね(笑)。
おとっつあんの薬代のために娘が身を粉にして働く、みたいな(笑)。

―いやいや、笑いごとではないですよ。20代っていったら、普通は恋愛や仕事に夢中になれる時期じゃないですか。それが、「漢方薬のために働く」って……。

小学生の「やせ児童」に始まり、中学や高校生の時もいろいろな病気になり、母は心配してそのたびに医者に連れて行ってくれました。

ですが、「原因はストレスです」といわれるたびに、「こんなにのんびり育てているうちは周りにはないのに。『勉強しろ』といったこともないし」といい、母はウチの家庭環境に1mmも疑問を感じていないようでした。

根本的なストレス源がそのままなので、私が本当の意味で周りの子どものような「健康」になることはありませんでしたが、その……長期的な子育ての視点が母にも父にもないから、「不登校にならず、非行にも走らず、自傷行為(リストカットなど)もない。親を困らせるようなことが起こってないからOK」って感じ。

―結局、幼少期から20年以上にわたって、「私、限界!」っていうシグナルをさまざまな形で出しながらも、全部スルーされた、という。

そうなんですよね。

おそらく第三者からみたら、明らかに問題が山積している家庭なのに、原因に手をつけようとしないんです。
例えていうと、鍋の中の料理が腐って悪臭がしているのに、ふたをし続け、臭いので別の部屋に置いている。
そんな状態です。

ウチの場合は、子どもが自分の意見を言えず、日常的に家族がけんかしている状況で育てられたばかりでなく、子どもは本来関与しなくていいはずの家庭内の紛争を整理・仲裁することまで求められ、しかもその後の親のメンタルのケアまでしなければならない状態でした。

こういう解釈は(私が幼少期から長年にわたり家庭で引き受けてきた役割から見ると)優しすぎるかもしれませんが、ある時点で父か母のどちらかが、子どものサインに気づいて、そこの時点で対処してくれていれば、父も母も人として成長していたんじゃないか、と思うんですね。

よく、子育てをすると親も成長する、って言いますね。
でも両親は常に見ないようにしたり、ひとのせいにしたりして、それを「なかった」ことにし、結局、自分たちの成長の機会を逃したんだと思います。

母が困ったときに決まっていう言葉がありました。

「きもちわるい」「これまでのことは、水に流しましょう」

こうやって、自分と意見が違うひとを異物扱いしたり、過去の問題を「見なかった」もしくは「なかった」ことにして「解決」してきたひとなんです。

だから……、何一つ解決していません。

(次回に続きます)

<参考サイト>
※1
All About「第一次反抗期とは……年齢別にイヤイヤ期の対処法を解説」(2024.4.29 sited)
https://allabout.co.jp/gm/gc/480774/#2

※2
All About「子供の反抗期!自立を支援し親子関係を崩さない対処法」(2024.4.29 sited)
https://allabout.co.jp/gm/gc/471881/#3
反抗期は「自立していくための準備」として、子供の成長発達には必要なものです。自我が芽生え、正しい自己主張をしっかりできる大人になる為にも、大切な過程と言えるでしょう。

教育お役立ちマガジン「反抗期がない子どもの将来に共通する心配事とは?」(2024.4.29 sited)
https://www.going-100ten.com/column/study/grow/1203
まず第一に、自ら考える能力が発達しません。なぜなら反抗期がないことによって、自分自身について考えるといった普遍的なことができないからです。人間は反抗期によって、「自分はどういう考えを持っているのか?」等、自分自身について深く考える力を育んでいきます。

※3
原家族
臨床心理の用語で、配偶者を見つけて新しく作った家族ではなく、大人になるまで自分が育った家庭のこと。

※4
現代ビジネス「『ウチの子反抗期がなくて助かる』と思ってないですか?それってとんでもないシッペ返しを食らうかも」(2024.4.29 sited)
https://gendai.media/articles/-/105159?imp=0

※5
足立区webサイト「その夫婦げんか 子どもの脳を傷つけています」(2024.4.29 sited)https://www.city.adachi.tokyo.jp/kodomo-genki/menzendv20230515.html

ある大学教授らの研究結果によると、幼少期にDVを見聞きして育った場合、脳の「舌状回」という部分の容積が、正常な脳と比較して平均して6%小さくなっていたことが報告されています。
また身体的なDVよりも罵倒や脅しなど言葉によるDVの方が子のダメージは大きく、言葉によるDVを見聞きして育った子の「舌状回」の容積の萎縮率は、(身体的なDVを見聞きして育った子の脳の萎縮率よりも)6から7倍も大きいことも報告されています。

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