前回から引き続き、私が仕事や活動について考えるとき、思考の土台となっている情報源についてお話しています。
↓もう一度、読み直したい方はこちらよりどうぞ
【思考の土台となっている情報源①】八木仁平公式サイトの「ストレングスファインダー」関連記事
【思考の土台となっている情報源②】ちきりん著『マーケット感覚を身につけよう これから何が売れるのか? わかる人になる5つの方法』
私が仕事や活動について考えるとき、思考の拠りどころとなっている3つの情報源を紹介していくシリーズ。
最後は、伊藤洋志さんの本『ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方』です。
伊藤洋志著(2012)『ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方』東京書籍
※2017年、筑摩書房より文庫化。読者からの質問への答えを増補。
文庫版の情報はこちら(版元ドットコムへのリンク)
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784480434555
仕事に対する考え方が根本的に変わる一冊
ナリワイの考え方の真髄の一つは、稼がなきゃ稼がなきゃと外部の環境に振り回されるより、自分の生活を作る能力を磨き、それをちょっと仕事にしてしまうほうが確実ではないか、ということなのである。 『ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方』 ちくま文庫版 p.37.より引用
今回紹介する本は、仕事に対する考え方が根本的に変わる一冊。
私の働き方もこの本から大きな影響を受けています。
伊藤洋志さんについて
著者の伊藤さんは1979年生まれ。
京都大学大学院農学研究科森林科学専攻修士課程を修了後、上京。
既存の社会システムでほころびが出てきている分野がさまざまある中、特に「暮らし」や「働き方」について新しい方法論を編み出し、それを提唱するだけなく、自ら実践をされてきた方です。
本書では、従来の「仕事」や「ビジネス」とは異なる、暮らしや生きることと地続きになった「ナリワイ」という働き方を紹介しています。
これまでの伊藤さんの歩みについては、下記の株式会社リクルートのwebサイト掲載記事が分かりやすいです。
『自分で仕事をつくりだす』健康に暮らし生きることが、仕事になる。それがナリワイという生き方だ
https://www.recruit.co.jp/blog/guesttalk/20180604_337.html
「ナリワイ」とは?
「ナリワイ」とは、「個人が自分の体ひとつと小さい元手で始められる、やることによって仲間も増えて心身が鍛えられる仕事」のこと、と本書には説明されています。
また、「個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事」(ちくま文庫版 p.3.)とも書かれています。
これはいったいどういうことなのでしょうか。
私たちが仕事を自営業で始める、というと、「事業計画書を作って融資を受けて……」とイメージする方も多いかもしれません。
「ナリワイ」では、融資を受けたり資金調達の方法を考えてから起業するのではなく、まず、自分の生活において自分でできることを増やし、支出を抑えるところからスタートします。
支出を抑えるためには、場合によっては家賃の安い地方に移住する必要もあるかもしれません。食べ物を作ったり、古い家を借り修繕しながら住んだりする必要が出てきます。
伊藤さんは、その過程で身についた技術を「ナリワイ」の一つにすることも推奨しています。
伊藤さんご自身のナリワイでは、床張りワークショップがそれに該当します。
利益追求が一番の目的ではない働き方のため、一つ一つの仕事の利益は少なくなりますが、小さい仕事をいくつか組み合わせることで生計を立てます。
昔の農家(お百姓さん)の働き方を見本にした複業です。
この本の画期的だと思う点
民俗学的な視点から「ビジネス」や「働き方」を見直したところ
この本は「ビジネス」や「副業」についての本ではあるのですが、書店の「ビジネス」の棚に並ぶ本とはかなり色合いが違っています。
そして、働かないことを推奨したり、極めて少ない出費で生活する「やりくり・節約」本とも一線を画しています。
上で紹介したリクルートの記事でのインタビューで、伊藤さんはこのように答えています。
大学では農学部だったんですが、そこで農業や林業を見ていて、現在の仕事のあり方に疑問を持っていました。日本は戦後、会社に就職しひとつの仕事に専念するような社会になりましたが、もともとはそうじゃなかった。今でも農家で夏は稲作、冬は酒づくりなど、副業や兼業は普通にあります。そんなふうに複数の仕事をちょっとずつするほうが自然なんじゃないかと思い、たくさんの仕事をつくりたいと考えていました。(https://www.recruit.co.jp/blog/guesttalk/20180604_337.html より引用)
伊藤さんは、学生時代に各地方をめぐり、職人さんの仕事内容や生計の立て方などを調査をしていたのだそう(※1)。
著書の「はじめに」に、民俗学者の宮本常一氏の名前が出てくることからも分かるように、この本には民俗学の視点が入っており、伊藤さんのフィールドワークの調査経験(実体験)も含め、民俗学的な視点からビジネスや働き方をとらえ直している点が、これまでのビジネス本と大きく違っていた点ではないか、と思います。
商学部や経済学部出身者でなく農学の専門家が、新しいビジネスの在り方について提唱することに対して、違和感を感じるひともいるでしょう。
しかし、これに関しては、哲学者の鷲田清一さんが文庫版の解説で「ナリワイ」について、「これはもうほとんど哲学の実践である」(※2)とおっしゃっていることからも分かるように、この本は多くのビジネス書が扱う、ビジネスノウハウやハウツーについて書かれている本ではない、という点から説明が可能だと思います。
本書に「これからの仕事は、働くことと生活の充実が一致し、心身ともに健康になる仕事でなければならない」(ちくま文庫版 p.3.)「『ナリワイ』は『生業』だから、生活でもあり仕事でもある」(ちくま文庫版 p.9.)とあるように、この本では「人間の暮らしや生き方」というレイヤーでビジネスについて言及しています。
そして、おそらく、伊藤さんのような視点で「ビジネス」や「働く」ことをとらえることは、資本主義経済の最前線で戦うマーケティングや経営の専門家には難しかったのではないか、と思います。
なぜそう思うのかというと、私は出身大学は違いますが伊藤さんと同じく、大学では環境問題や林学を学んでおり、社会人になり一般企業に就職してから、自分と同じような農学的な感覚で世界を見ているひとは実はとても少数派なのだ、と感じたからです。
働き方やビジネスの話となると、他の学部を出ている同僚や友人とは、なかなか会話がかみ合いませんでした。
同じ話をしていても、世界のとらえ方そのものや時間軸が違うと感じました。
おそらく農学出身者や自然科学系の学部の出身者は、世界をとらえるとき人間は地球にたくさん生息している生き物の一種に過ぎないという見方をし、時間を考えるときは生命が誕生してから死ぬまでというスパンでとらえることが多いのだと思います。
例えば、私が大学時代に関わっていた林学では、木を扱いますが、これは非常に成長の遅い生き物です。
木を植えたり林の手入れをしても、その結果が分かるのは数十年先です。
自分のやったことやおこなった判断が正しかったのかどうかは、ひどい場合には自分が生きている間には分かりません。
そういうリズムの仕事です。
ところが、今のビジネスの多くはものすごくはやく結果が出ます。
お客さんから詳細なフィードバックも得られます。
そのため、現代的なビジネスは、人間の万能感が前提にあるように思います。
自然と触れ合えば農学的な感覚や自然科学的な思考を持てるようになるか、というとそうでないところが複雑な点です。
現代では、自然でのアクティビティ(登山やキャンプなど)でさえ、ファッション化し消費と結びついていることが多く、自然と触れ合ってもそのような感覚を持てるようにはならないでしょう。
このような現代社会で、「人間も自然を構成する一つのピースでしかない」という農学部的な視点で、ビジネスや働き方をとらえているひとは少数派ではないか、と感じています。
ジェンダーに配慮して書かれているところ
日本は先進国の中では男女格差が大きく、人権や弱者への配慮が圧倒的に遅れている(※3)ということはみなさんもご存じかと思います。
最近リアルにこれを感じたのは、酔った男性に公道でいきなり抱きつかれたことです。
「酔っていれば女性に対し、こういうことをしても許される」と思っている男性が、まだ普通にいるということ。
そういうことをしても男性なら見逃されるし、社会的信用を失うことなどない、と思われているということ。
日本が先進国の中でも、女性の人権に関しての感覚が非常に遅れていることを実感させられた出来事でした。
この本が出版されたのは10年以上前ですが(2012年出版)、当時の状況を考えると、仕事や働き方をテーマにした本でジェンダーや人権、社会的弱者についてこれほど配慮して書かれた本は稀だったのではないか、と思います。
私は「ニート」や「フリーター」という言葉が生まれた、いわゆる「ロストジェネレーション世代」(※4)です。
そして上にも書いた通り、農学部で林学を専攻していました。
新卒も含め、これまでの就職活動は、この記事の一部分にちょっと書く、なんて文字数では説明しきれないくらい、困難の連続でした。
新卒の就活時の日記が手元に残っているのですが、地方のハローワーク職員の、農学部卒の女子大生に対する差別的な発言や態度は、偏見に満ちていてはっきりいって人権侵害レベルでした。
新卒の就活では、業種どころか職種を選ぶ自由もありませんでした。
「女性の総合職を募集している会社なら、どこでも構わず受けるしかなかったので募集しているすべての業界の試験対策をした」と聞いたら、今の就活生はびっくりするかもしれません。
当然ながらせっかく入社できても、組織とのミスマッチが起こり、体調を崩して辞める。
しかし、ぎりぎりの収入しかないので(※5)、企業研究も十分できないまま、とにかく次の就職活動に入る、という繰り返しでした。
新卒の会社を辞めた時は、まだ都会にしか「第二新卒」という採用枠はなく、新卒での就職に失敗したら、挽回の機会が全く用意されていない、という状況。
このつらさに拍車をかけていたのが、「私よりも若いひとがフツーに安定して働いているのに、なぜ自分だけこんな状態なんだろう。自分は本当にダメだ。親に大学まで進学させてもらったのに……」という、自分の能力にすべての原因があると考え、自分を責めてしまう思考です。
それから、10年以上経ち、私とは世代がかなり離れた八木仁平さんがされている「自己理解プログラム」を受け、ある事実を知ったことで私の考えに変化があらわれました。
それは、八木さんや今の就活生が直面している新卒市場の状況が、自分が新卒だった就職氷河期とは、大きく違っているということ。
「選択肢がたくさんありすぎて、確固たる軸がないと就職先を選べない」というのです。
私の時代と比べ、就活生の悩みが180度変化していました。
これまで就職に関しては「自分の能力不足なのでは…」と、私は自己責任寄りの考えを持っていました。
しかし、このプログラムの受講を境に「新卒の就職が特別困難な時代に運悪く当たってしまってたんだ」「他の世代から転職が多いことを否定的に見られたり、努力が足りないと思われても気にしなくていいんだ」と、考え方が少しずつ変化していったのです。
さらにその変化に拍車をかけたのが、伊藤さんによる「ニート問題」のとらえかたです。
伊藤さんは、「大正時代には仕事の種類が3万5000種あったのに、高度経済成長を期に仕事の種類が激減した。仕事が多様性を失ったり、専業化してしまったことにより、さまざまな社会のひずみが出ている」という旨のことをおっしゃっています。
そもそも、仕事はもっと多様性のあるものだった。季節ごとに生業は変わるし、色々な仕事があり、それを各自が組み合わせて生活を組み立てていた。それをわずか40~50年で変えてしまった。ここにも日本の働き方の矛盾の根源がある。
(ちくま文庫版 p.5.より引用)
実は、ニートと呼ばれるひと達は、「職の多様性の急激な減少に適応できない人が顕在化しただけ」(ちくま文庫版 p.5.)。
この本でこの部分を読んだ時は、「こんな物事の見方があるのか!」と驚愕しました。
私は、職歴だけを見るとニートという分類には当てはまらないかもしれません。
ですが、転職を繰り返しており、いつエネルギー切れをおこして、働く気力が枯渇してもおかしくない状態でした。
そのため、ニートの方たちを他人事とは思えません。
伊藤さんの言葉のおかげで、私は自分のありようを肯定をできるようになりました。
私が新卒で就職したときはちょうど就職氷河期と呼ばれた時代で、ニートが社会問題として話題になっていた頃でした。そのときに考えたのは、ニートは怠惰だ、矯正が必要だと批判されるのがおかしい。就職して会社で働くというスタイルに合致しないだけの人も少なくないだろうということ。そしてその人たちの受け皿のようなものが必要だろうということです。(https://www.recruit.co.jp/blog/guesttalk/20180604_337.html より引用)
数年前まで、自分の職歴の原因は「個人の能力や努力不足」がほぼ100%だと思っていました。
しかし、八木さんのプログラムを受け「いや、それだけが原因なのではなく、時代に恵まれず運が悪かった」と書き換えられました。
そして、伊藤さんの言葉により、「職の多様性の急激な減少に適応できなかっただけ」と、アップデートされたのだから、驚きの進展です。
伊藤さんはご自身のwebサイトの中で、以下のようにおっしゃっています。
言い忘れましたが、このナリワイ本は、激烈な競争や、強すぎる権力志向がダメな人のための本です。昨今「自分をブランド化して他人より目立って成功しよう!」というような戦闘型の考えにまとめられた本が多く、これは典型的なバトルタイプの人のための考え方なので、生来バトル好きではない人が読んでも、しんどいだけであんまり役に立ちません。そして、「非バトルタイプ」のひと向けの生き残り戦略として、ナリワイという働き方を提唱しています。(https://nariwai.org/book より引用)
「非バトルタイプ」には、ニートのひと、疲れやすく8時間の睡眠が必要なひと(私です)、持病のあるひと(私です)、シングルペアレントのひと、求人の少ない過疎地に生まれたひと、など、あらゆる弱い立場のひとが含まれています。
2023年の朝日新聞のポッドキャスト(※6)で伊藤さんがゲスト出演された際は、以下のように話してらっしゃいました。
社会の公平性を作るためには、自分の立っている立場によって「仕事に就ける・就けない」という差が出てはいけないと思う。 「たまたま、こういうポジションにいるからこの人は良い仕事にたどりつける」、みたいなことだとアクセスが制限されている状況。 これは端的に言うと機会の格差。そういうのを減らせるような形の仕事をたくさん作りたい。個々人が(自分の)生活にフィットした仕事を作れるようになった方がいい。
伊藤さんのこのような考え方は、ロスジェネ世代にはもちろん、男性とは生きていく環境そのものにまだ格差を抱えている、日本の女性にも響くのではないかと思います。
「ナリワイ」の考え方をもって働くひとを、自分の周りに増やしたい
この本は文庫化もされ、非常に多くのひとに読まれていると思いますが、自分の周りの司書には「ナリワイ」の概念を知っているひとがほとんどいません。
まずは自分の身近な知人や友人に読んでもらいたい。
そして、自分の周りに「ナリワイ」への理解者を増やしたい。
そのことが、自分自身の生きやすさにつながると思うからです。
「ナリワイ」の考え方に共感しているひとと一緒に仕事ができるようになることが自分にとっての理想です。
ナリワイ一つ一つは大きな利益が生み出せるものではありませんが、自分の心身の健康につながるし、長く働けるスタイルなので、長期的に見て経済の発展に貢献すると思います。
私たちの周りには広告目的の情報があふれ、無意識に暮らしていると煽り文句に翻弄されてしまいます。
伊藤さんも、「『デキる人がやっている11の方法』『○○だけやれば、必ず幸せになれる』といったタイトルの本が、書店で目立つようになったことに不自然さを感じた」ということが執筆のきっかけの一つだった、とおっしゃっています(※7)。
元図書館員としての実感なのですが、もし図書館員が選書せず、書店で売れている本や新刊をそのまま受け入れして配架(本棚に並べること)していたら、図書館が「気持ちが落ち着く」とか「読書や勉強に集中できる」という空間にはならないのではないか、と思ってしまいます。
そのくらい、ここ10年ほどのビジネス関連書籍や自己啓発本のタイトル・装丁は、品がなくなったように感じます。
人間の不安や欲望をあからさまに刺激してくる情報があふれる社会の中で、ぐっと踏ん張り、自分のホームポジションに戻ってくるためのお守りのような本が、私にとっての『ナリワイをつくる』なのです。
皆さんにとっても『ナリワイをつくる』が、心のよりどころとなったり、大きな発見や気づきを与えてくれる一冊となることを願っています。