多くのひとに知ってほしい。「デジタルデトックス」の必要性(前編)

2023/10/05

デジタルデトックス 好奇心

デジタルデトックスのイメージ画像

せっかく好奇心のタネとなるような、熱中できる対象をみつけても、大人はなかなか子どもと同じように没頭することができないことが多いものです。

その原因の一つに、毎日触っている意外なものがあります。

今回と次回の二回に分けて、その「意外なもの」とのつきあい方について考えてみます。

好奇心のタネを見つける方法の一つは、小さいころに時間を忘れて夢中になっていたことを振り返ってみる

好奇心のタネを見つける方法の一つは、「小さいころに何に夢中になっていたか」を思い出してみることです。

すべての方があてはまるわけではないと思いますが、小さいころ時間を忘れて何かに没頭した経験がある、という方はいらっしゃるのではないでしょうか。

先日、友人と話していたら、小さいころ、3日間ほどほとんど眠らず、飲まず食わずのような状態で夢中になって読んだ本があった、というエピソードがでてきました。

私の場合は、小さいころは絵を描くのが好きでした。屋外での写生会では1日中座って絵を描いていました。

夢中になれることは、本当にひとそれぞれだな、と思います。

今現在、「好きなことがない」「趣味にできるようなことがない」「好奇心を持てる対象がない」ということでお悩みの方は、小さいころに時間を忘れて夢中になっていたことがなかったか、振り返ってみるといいかもしれません。

自分では思い出せないようでしたら、ご両親や兄弟、幼馴染みなどに聞いてみるのもいいと思います。

大人になると集中して何かに取り組んだり、何かに没頭することはますます難しくなる

さて、少し話は変わるのですが、大人になると子どものころとは違い、さまざまなタスクに追い回され、集中して何かに取り組んだり、何かに没頭することはとても難しくなります。

「今日の夕飯どうしよう。牛乳まだ、あったっけ?」「次男の宿題見てあげなきゃ。そういえば明日からプール開きだった」「あの相手先へのメール、返信したっけ」、などなど、日常はやらなきゃいけないことだらけ。

しゃべっていなくても、頭の中は騒がしい状態です。

茶道などのように、現実とは切り離された空間でこころを落ち着けられる趣味や、サーフィンや登山などのように遠出して日常生活とは環境の違う場所で楽しむスポーツをされている方は、大人になっても、子どものころのような集中した時間、没頭できる時間を持てているかもしれません。

しかし、そのような時間や趣味をもてないひとの方が圧倒的に多数だと感じます。

そして、その「集中」や「没頭できる時間」を作りだすことをさらに難しくしているものがあります。

それが、スマートフォン(スマホ)やタブレットなど、常に身につけていられるデジタルデバイスの存在です。

スマホの存在がますます集中や没頭を難しくしている

デジタルデバイスの登場により、わざわざ図書館まで行って調べたり、十年前までのように自宅に帰ってからパソコンで調べる、ということをしなくても、その場でいろいろなことを検索できるようになりました。

これは「好奇心を持つ」「好奇心のタネをみつける」という面については、プラスの変化のように考えられます。

しかし、長い目で見るとそれは違うのではないか、と私は感じています。

その理由の一つは、私自身、スマホを使うようになってから明らかに時間がなくなり、疲労感を感じるようになったからです。

新しいものに興味を向けようと思っても、その時間もエネルギーも、以前よりも足りなくなっていて、「やる気」や「好奇心」というエネルギーが非常に貴重なものに感じられるようになりました。

また、もう一つ理由があります。

それは十数年前、iPhoneが出始めたころの出来事がきっかけでした。

職場で料亭のような場所に出かけた際のことです。

自腹ではなかなかいけないような、高級な格式高い飲食店でした。

そのうち、小さな器に盛られていくつもの料理が出てきました。

こういったお店では、料理が運ばれてくる前に、その日のメニューが文字のみで書かれたお品書きが配られます。

先輩と珍しい料理や食材について、お品書きと照らし合わせながら「この食材がこれなのね」「この上にのっているのは何かしら?」などと、談笑していたところ、若い社員さんが「それは○○です」とその場でスマホで検索して、画像付きで答えを見せてくれたのです。

私たちが「これは何かしら?」という会話をしていたので、答えを検索して探してくれたのはむしろ彼としては親切からの行為だったのだと思うのですが、私は戸惑いました。

私たちは正解が知りたくて「この上にのっているのは何かしら?」といったのではなく、料理を話題にすることで料亭でのひとときを愉しんでいたからです。

この時、すぐに手元で検索ができたり撮影ができるメカを私たちが常に携帯していることによって、「ある種の日本的な文化がなくなってしまうのでは……」という、恐れに似た感情がよぎったことを覚えています。

談笑していた先輩と私の注意関心は、もう目の前の食材や料理、器ではなく、「わからないことを調べてくれた彼」や「提示してくれたスマホ」に移ってしまっていたからです。

料亭に来ているのに、料理やしつらえよりも、答えを提示したgoogleの方に関心が向いてしまっていたのです。

「料理を提供してくださった板前さんよりもgoogleの方が上になってしまった」

まさに、その後に登場する「google先生」という言葉(私はこの言葉が嫌いです)を予感させるような苦い体験でした。

私は、この体験から、知らない食材や未知の調理法と出会い、周りのひとと「食べる」という共通体験を通じて、「今」という時間を愉しむという、料亭でのふくよかな文化が、スマホの登場により、とても味気ないものに変わってしまうのではないか、と思いました。

この例では分かりづらいと感じる方も、もし茶席でとなりのひとがスマホで写真を撮ったり、お軸の言葉や和菓子を画像検索し始めたら……という場面をご想像いただければ、違和感をお分かりいただけるのではないかと思います。

スマホの登場により、注意力が散漫になり、私たちは貴重な「今」に集中することが非常に難しくなってしまったのです。

スマホは「ガラケーの進化系」ではない

スマホのことを、いろいろな機能が追加された「携帯電話(ガラケー)の進化系」や「電話機能のついた超小型PC」と考えていらっしゃる方もいるかもしれません。

当初は私もそう考えており、「ノートPCを持ち歩かなくても、携帯電話でPC並みのことができるようになった!」と思いました。

2007年、スティーブ・ジョブズがiPhoneをお披露目したときも、初代iPhoneの最大のセールスポイントは「iPodと携帯電話を一つにしたこと(二つのデバイスを持ち歩かなくて済むようになったこと)」と公表していたそうです(※1)。

しかし、iPhoneをはじめとするスマホが普及するにつれ分かってきたことは、スマホは「便利な電話機能付きiPod」などではなく、注意を向けずにいることが難しいくらい、私たちの関心を引いてしまう依存性の高いデバイスだ、ということでした。

いち早くそのことに気づいたのは、他でもなく、スマホを作った側の人間(ジョブズなど)やSNSの開発者でした。

彼らは子どもにスマホやタブレットを持たせないようにしたり、利用時間(スクリーンタイム)を厳しく制限して使わせた、と言います。

スマホやタブレットに入っているアプリやSNSは、人間の承認欲求や報酬系などを刺激し、スマホが気になって手放せなくなるように、巧妙に設計されています。

そのため、私たちはSNSからの通知がきていないか必要以上に頻繁に確認してしまったり、手持ち無沙汰になると目的もないのにSNSの投稿をチェックしてしまいます。

それによって、目の前のことに集中するべき時間や、ある程度「かたまり」として確保することにより充実感が感じられるような時間が、細切れになりました。

後でご紹介する本『スマホ脳』によると、私たちは1日に2600回以上スマホを触り、平均して10分に一度スマホを手に取っているというデータもあるそうです(※2)。

これは著者の住むスウェーデンのデータだと思われますが、先進国ではどこも大きく変わらないのではないか、と思います。

私たちが無意識にスマホを触っている回数にも驚かされますが、さらに深刻になのは、通知が来ないようにスマホをサイレントモードにし、ポケットにしまったとしても、私たちの関心はスマホから離れない、という実験結果です。

大学生500人の記憶力と集中力を調査すると、スマホを教室の外に置いた学生の方が、サイレントモードにしてポケットにしまいこんだ学生よりも良い結果が出たのだそうです(※3)。

つまり、もはや通知がある/ないにかかわらず、スマホが「物」としてポケットに入っているだけで意識がスマホへ向いてしまい、集中力が阻害される、ということが実験結果で証明されてしまったのです。

「デジタルデトックス」とは?

これほどまでに私たちが注意を向けてしまうスマホ。

スウェーデンでは3人に1人が(18歳~24歳では半数が)就寝中にも起きて少なくとも1回はスマホをチェックしている、というデータもあるそうです(※2)。

これはスマホによる報酬系への刺激だけでなく、ディスプレイから発せられる光の影響も加わり、夜遅くなっても交感神経が優位になっていることが原因かと思われます。

当然、「眠れない」「以前より眠りが浅くなった」など睡眠の問題を抱えるひとが出てきました。

デジタル・ツールの過度の使用がもたらす疲労感。主体性を弱め、幸福度を低下させ、負の感情を増幅し、より大事な活動から注意をそらせる力 ― 私はそういった憂慮すべき問題の数々を目の当たりにして初めて、現代文化の支配者たるテクノロジーとのあいだに危険な関係を築いている人があまりにも増えていることに気づいた。

カル・ニューポート著、池田真紀子訳『デジタル・ミニマリスト: スマホに依存しない生き方』(早川書房)p.15より引用

睡眠の問題だけではありません。

長時間のスマホ利用により、深刻な心身の不調を訴えるひとが現われました。

こういった場合、問題が起これば原因を取り除く、というのが対処の第一歩です。

しかし、今の生活の多くはインターネットやスマホの恩恵を受けて成り立っており、今の便利さを維持しつつスマホのない生活をする、というのはほぼ不可能です。

そのため、より健康的にデジタルデバイスやインターネットとつきあっていくために、一時的にスマホなどのデジタル機器から距離をおいたり、インターネットやSNSの利用時間を制限する、という方法が提唱されるようになりました。

それが「デジタルデトックス」です。

一定時間、デジタルデバイスから離れたりインターネットを断つことが目的ですが、都市から離れ山の中などへ自然豊かなところへ行く必要は必ずしもなく、自宅でもおこなうことができます。

次回はデジタルデトックスについての入門書やそのような本を扱っている書店を紹介します。

参考文献

※1 カル・ニューポート著、池田真紀子訳(2021)『デジタル・ミニマリスト: スマホに依存しない生き方』早川書房 p.29.

※2 アンデシュ・ハンセン著、久山 葉子訳(2020)『スマホ脳』新潮社 p.69.

※3 同上p.93.

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